取捨選択はご自由に

以前にブログでThe Institute for the Study of War(ISW)の記事を紹介しました。政府軍はホムスに兵力を集中させ、自由シリア軍(FSA)を徹底的に叩くと。目的はレバノンからの補給ルートの遮断、同時にホムスから南北に繋がる重要な都市ラタキア、タルトゥース、ダマスカスへの進軍を阻止するためにありました。その作戦(破壊活動)は順調に行われているようです。

昨日、FSAがまた一つ、重要な拠点を失いました。Khalidiya地区。ハーリド・イブン・アル=ワリードの大モスクがある歴史的な都市です。‘‘the capital of the revolution‘‘の象徴として1年以上もFSAの支配下にありました。現時点で60パーセントから80パーセントが政府軍の手に落ちたと国営放送は報じています。革命以前は8万人を擁した賑やかな町並みは砲弾に見舞われ廃墟と化しました。2千人余りの人々が現在もこの町で暮らしているそうです。ちなみに今回のKhalidiya奪還作戦にもヒズボラの濃厚な影がチラホラと散見されます。ホムス攻略後は本格的にアレッポ制圧に乗り出すでしょう。http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-23483717

http://www.huffingtonpost.com/2013/07/27/syrian-troops-homs-mosque_n_3663894.html?ncid=edlinkusaolp00000003

そのアレッポは金曜日に政府軍による地対地ミサイルが北部に位置するBab Nairab近郊に着弾しました。死者は29名、そのうち19名が子供だったとシリア人権監視団は報告しています。また1週間前にはアルカイダ系の武装勢力による虐殺も行われています。

虐殺が起きた町はKhan al Asal。日付は7月22日、23日。実行犯はアルカイダ系の武装勢力であるヌスラ戦線と過激派として知られるAnsar al Khilafah。2012年12月に結成されたAnsar al Khilafahは厳格なシャリーアの施行とカリフ制の樹立を求めています。またKhan al Asalは今年の3月に化学兵器が使用されたことでメディアでも大々的に取り上げられた町です。2日間の戦闘で反体制派側が勝利し、捕らえられた政府側の兵士100名以上が処刑されました。

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/middleeast/syria/10206588/Syria-missile-strike-kills-19-children.html

http://www.longwarjournal.org/archives/2013/07/ansar_al_khilafah_ex.php

今度はアレッポから北へと目を移すと、クルド人の支配地域が広がっています。この地域(ラッカ県、ハサカ県)に展開するクルド人武装勢力はKurdish Democratic Union Party(PYD)になります。the Kurdistan Workers’ Party(PKK)との繋がりがあり、PYDはシリア国内にクルド人自治区の建設を求めています。それに対して、不快感を示しているのがスンニ派で組織された反体制派勢力です。外国人勢力だけでなくFSAの中にもPYDを敵視している部隊が多く存在します。

双方のいがみ合いは今に始まったことではありませんが、7月中ごろから緊張の度合いが高まりました。今月16日にハサカ県の都市ラス・アル・アインでヌスラ戦線がthe People’s Defense Units(YPG)を攻撃し、多数の戦闘員を拘束したことで幕が開けます。YPGはPYDと連携している武装勢力。それに激怒したYPGがヌスラ戦線に報復し、捕らえられた同志を奪還します。17日、ヌスラ戦線、the Islamic State of Iraq and the Levant(ISIS)、the Salafist brigade Harakat Ahrar al-Sham al-Islamiya、Liwa al-Tawhid(FSA:タウヒード旅団)が共闘して、YPGの支配地域に侵攻します。しかし、YPGの奮闘もあり、翌日の18日にはスンニ派武装勢力30人を拘束しますが、今度はヌスラ戦線とISISがクルド人の大学生19人を誘拐します。19日にはヌスラ戦線がPYDの本部に自爆テロを仕掛け、PYDのリーダの1人を殺害。

一方、ラッカ県のTel Abyadでも、双方の緊張が高まり、地元の部族民の仲裁も不発に終わります。20日、YPGがヌスラ戦線の司令官を捕虜にするが、ヌスラ側は400人の一般市民(クルド人)を誘拐し、21日は双方で捕虜の交換が行われ、司令官もクルド人も無事に釈放されます。しかし、これらの出来事が全て事実かという証拠はないです。双方での中傷合戦の結果、針小棒大に物事は大きく伝わります。ということで、まだ記事の半分にも到達していませんが、残りは直接サイトに飛んでください。クルド問題は根が深すぎて僕には近づけません。でもブログでこんな問題もありますよという報告だけしてみました。

https://now.mmedia.me/lb/en/commentaryanalysis/the-latest-sideshow-the-pyd-v-al-qaeda

エジプトの政変の影に隠れて、報道が見えにくくなっていますが、相変わらず混沌としています。シリアはテーマが豊富です。全てを把握するには僕には時間もないし、複雑すぎて脳が支障をきたしちゃうし、やはりテーマを絞ってそこに根を張るのがシリア情勢を捉えるコツなんかなあとも思います。今の僕はテーマは絞りきれていません。ブログには興味を引いた記事を書いています。テーマが決まるのは現地に立ったそのときです。ただ毎回それだから、行き当たりばったりで中身のない取材したり、赤字を垂れ流して、涙の帰国、そのまま資金稼ぎのアルバイトっていうサイクルから抜けられないんだよなあ。ハムスターが車輪を回るのに似てる気がする。