クサイル陥落後のホムスの現状

エジプトが燃え上がってる。これだけメディアで大々的に取り上げられるエジプトの今回の政変劇、中東にとっては見過ごすことができない重大な出来事なのか。中東に関わって僅か1年足らず、シリアの情勢を理解しようともがいている僕にとって、エジプトの影響力がどれほどなのか、計り知れず。ただ、先月の中ごろ、モルシ大統領が民衆を前にして、アサドとの決別を宣言し、聖戦に向けた反体制派へ支援が着々と進められていたかのように思われたけど、今回の一件で停滞しちゃうのか。「エジプトはナイルの賜物」。一度は足を運んでみたいなあ。

それでシリアに移ります。エジプトの影に隠れて目立った報道がされていませんが、シリア第三の都市ホムスが火を噴いています。反体制派から流れてくる動画は鳴り止まない銃声と数分間隔で飛来する砲弾、その中で暮らす市民の嘆きと破壊され尽くした町の様子。内戦に突入して以降、ホムスは絶えず激しい攻撃にさらされてきました。The Institute for the Study of War(ISW)からのレポートを紹介したいと思います。http://www.understandingwar.org/backgrounder/syrian-army-renews-offensive-homs

ホムスが間断なく砲弾にさらされている現状に変わりはありませんが、シリアで戦闘が行われているのはホムスだけではありません。政府軍は町を焦土化して、反体制派を駆逐した後は、部隊を別の県へと移動させています。ホムスも同様です。先月初旬にクサイルを陥落させた政府軍とヒズボラは、すぐさまアレッポに焦点を移しました。その結果、ホムスに空白地帯が生じ、そこに自由シリア軍が集結、再び一部の町や村が反体制派の手に落ちました。

自由シリア軍が手中に収めた町は、いくか点在しますが、要衝としてTalKalakhがあります。クサイルはレバノンからの密輸ルートとしてシリアで戦う自由シリア軍にとっての生命線でした。そのクサイルが陥落した後、自由シリア軍が目を付けたのが上記のTalKalakh。6月中旬から自由シリア軍はここを拠点に、再度レバノンからの武器、食料、人材の密輸ルートを築き上げました。焦ったのは政府軍。アレッポに重点を置く彼らの間隙を縫った大胆な行動にすぐさま政府軍はTalKalakh奪還のために動き出しました。そして6月下旬にはTalKalakhは陥落しました。ここで政府側はまずはホムスを徹底的に叩く手法に乗り換えました。

興味深いのが、クサイル陥落時です。映像を見た方もいるかと思います。クサイルの中心部を我が物顔で闊歩する政府軍の姿を。昨日まで激しい戦闘をしていた翌日に堂々と警戒する様子もなく笑顔でシリアの国旗を振る兵士。そして海外のメディアの従軍まで許しています。これには実は政府軍と自由シリア軍の密約がありました。劣勢に立たされた自由シリア軍に政府側は交渉を持ちかけます。クサイルを無条件で明け渡すのなら、お前らの命を保障してやると。それに応じた自由シリア軍は逃げ延び、前述したTalKalakhに移ります。これは完全な政府側の失態でした。

TalKalakhでも両者の間で密約が設けられたらしいですが、確固とした証拠は得られていません。現在はクサイルのような失態を繰り返さないために、政府軍はホムスから自由シリア軍を圧殺しようと総攻撃を仕掛けています。Rastan、Talbisseh、 Khaldiyeh、Hamidiyah、the Old City、自由シリア軍が辛うじて優勢を保っている町や村に集中砲火を浴びせています。また供給ルートを遮断するためにホムスに通じる主要な国道に検問を数多く設置しています。クサイルが陥落した後に、「次の標的はアレッポ!」、「アレッポ総攻撃か!?」みたいな見出しがメディアを騒がせましたが、上記の理由からホムス全土が政府軍の手に落ちるまではアレッポへの大規模な進軍はないでしょう。

またクサイルやその他の町や村で、政府軍の支配下に置かれた地域には、アラウィ派の村人が暮らし始めています。元の居住者(スンニ派、反体制派)が使用していた家々に移り住むように政府側が奨励しているようです。確かに孤立したアラウィ派の村々がスンニ派の過激な思想を擁いた武装勢力に襲われるという事態がシリアでは頻発しています。いわゆる宗派間の対立です。そのため村人も政府軍が展開する地域で暮らすことを望んでいます。また活動家の話によれば、検問、鉄条網、地雷の埋設まで行い、避難した住民が元の居住区に帰還できないような強行的な措置が施されているようです。

現在、ホムスが総攻撃されている理由が、今回のレポートを読んで理解できました。特にクサイル陥落直後に外国メディアが同行したり、兵士が笑顔で町中をうろうろしている様子に違和感を覚えていました。その理由もはっきりして目から鱗です。掲載されている地図でホムスの細かな地名も把握できたし、ISWの分析記事に初めて接したけど、いいね!

それとこの記事を読んでいて、ふと思い出したんですが、一度目のシリア取材。ドゥーマという反政府勢力の町に1ヶ月ほど滞在してたけど、町の手前に政府軍の検問が設けられていて、その目と鼻の先、うーん、100メートルほどかな、建物の角を曲がったちょっと先に、自由シリア軍の検問があったりした。近すぎだろ!って思ったけど、何かしらの約束事が双方にあったんだろうなあ。両者ともにまだ心に余裕がある時期だった。。。