Two years into the uprising

シリアでの民主化の波が押し寄せたのが、2011年3月とされています。正確な日付は定かではなく、3月中ごろから首都のダマスカス、北部のアレッポ、南部のダラーなどで大規模な反政府デモが発生しました。隣近所、肉親でさえ、政治の話題を口にしないほど厳しい言論統制が敷かれていたシリアで、「アラブの春」に触発された国民が立ち上がりました。

「シャーブ・ユリード・イスカータ・ニザーム」。アラビア語で「シャーブ」は「国民」、「ユリード」は「望む」、「イスカータ」は「落ちる」、「ニザーム」は「政権」。つまり、「国民は(アサド)政権が崩れることを望んでいる」という文句を大声で熱唱して、旧国旗を振り上げていました。その他にも「アッラー・スーリヤ・ホッリーヤ・バス(神とシリアと自由、それだけで十分だ)」とか「アダム・スンニ・ワヒド・ハイヤ・アルジハード(スンニ派の血は一つとなってジハードに向かおう)」とか「サウラー・サウラー・スーリーヤ・ホッリーヤ(革命!革命!シリアと自由に!)」などなど。実際に、僕が滞在していた2012年4月のダマスカス郊外のドゥーマ、2013年に訪れたアレッポでの反政府デモでこのような言葉が飛び交っていました。

ドゥーマでのデモの様子、2012年4月撮影 http://www.youtube.com/watch?v=pXmlsHWiCWY

アレッポでのデモの様子、2013年2月撮影 http://www.youtube.com/watch?v=TaFv2p7VUi0&feature=youtu.be

2011年の夏ごろから、軍、治安、そしてアサド直属の悪名高き民兵組織「シャッビーハ」がデモに対して実弾を使用し始めました。この頃から死者の数が増加します。同時に平和的なデモを行えるようにいくつかの町ではこの時点から市民が武装を始めます。これが「自由シリア軍」となり、現在、シリア全土で展開している反体制派武装勢力となります。時は流れ、血も流れ、同年末には反体制派の象徴的な都市であったホムスが廃墟と化します。2012年になると、ホムス以外の都市でも小火器ではなく、重火器(戦車、迫撃砲、ロケット弾)が政府側によって使用され、シリア全土に戦火が広がります。この頃になって、僕もようやくシリアへの興味が沸いてきます。そして、革命から1年が経過した同年3月、僕はシリアに向かいます。

首都ダマスカスは平穏でした。普通に町中を歩いていても、とても戦争が起きているような国家とは思えない日常が広がっていました。しかし、二度、ホテルの窓が震えるほどの爆弾テロが起きました。毎週金曜日にはモスクで多くの人々がアサド政権への批判を口にして、外で待ち構えている治安部隊にボコボコに殴られ、護送車で刑務所に運ばれていきました。何かがおかしい。そう思うのですが、目を凝らしても実態が見えてこない。誰もが口を閉ざし、本音を語ろうとしない。そして僕は首都で唯一、反政府勢力が支配権を握っていると言われるドゥーマに足を運びました。

これまでいくつかの紛争地に足を運んで、日本では決して目にすることのない光景を見てきました。貴重な体験もしました。顎を撃ち抜かれたり、田んぼの真ん中で処刑されかけたり、ヘロインを首筋に打たれそうになったり、ただ、ドゥーマではそんな全てが帳消しになるような理不尽な状況が展開されていました。同時に、ここで暮らす人々の優しさに涙したり、彼らの勇猛果敢な態度に敬意を抱いたり、完全にハマリました。

カシミールでの取材がひと段落して以降、かなり迷走していました。次なる目標が設定できず、頭を抱えていました。でもようやく見つけました。シリア。かなり厳しい苦しいキツイ場所だけど、最後まで見届けたいと思います。

まとまりのない文章で申し訳ないです。最近、資金稼ぎが忙しくて、つまりはバイトですけど、それでシリアのニュースを大雑把に見るのがやっとです。アラビア語の勉強は停滞中。もう一度、政権が崩壊する前のシリアを取材したいけど、当分は日本を出られそうにないし、難しいか。ただし、政権が崩壊しても、国家そのものが荒廃している中で、シリアがどう変貌していくのか、今後が気になります。