アレッポ東部での暮らし-包囲網により隔絶された都市-

http://www.aljazeera.com/indepth/opinion/2016/11/russian-offensive-aleppo-161106114905738.html

朝、まず思い浮かべるのは、「今日はどのようにしてパンを手に入れようか」ということだ。ロシアの戦闘機が次の攻撃を仕掛ける間、私の頭を苦しめるのは、そんな問いかけだ。「今日はどのようにしてパンを手に入れようか」。

もしパンなしでの一日の生活を送りたくないのであれば、私は早朝5時に起きなければいけない。パン屋の前には大勢の人々が列を作っている。70日前にこの町が包囲されてから、このパン屋は週に3日、営業している。それぞれの家族が受け取れるのはパン5枚だけ。それも二日に一回だ。

特に攻撃もない一日であれば、6時までにはパンを受け取れるはずだ。パン屋に行列を作る人々は口々に同じことを叫ぶ。「私には子供が10人もいるの。娘は未亡人で、子供が3人いる。たった5枚のパンでは足りないわ!」。答えは簡単だ。「5枚しか渡せない。それは管理委員会が決めたことだ。私はその命令に従っているんだ」。私は1時間以内に何とかパンを受け取ることができた。

パンを手に入れることができれば、今日一日の仕事はほぼ終わりだ。次にやることがあるとすれば、食べられそうなものを探すことかな。アレッポ東部のこの町にまともな食料はない。野菜も肉も市内では生産されていない。郊外から搬送されてくる食料品は3カ月前からアサド政権に包囲されて、供給が止まっている。米やレンズマメ程度が辛うじて町には残されている。

戦闘が小康状態に入れば、人々は市場に顔を出す。物価は信じられないほど高騰しているが、それでも何か買えそうなものはないかと物色する。以前は砂糖は1KG、250SYP(1.2ドル)だったものが、今では3000SYP(14ドル)にまで跳ね上がっている。それでもありったけの金をはたいて、砂糖の購入に走る住民はいる。なぜなら、外から一切物資が入ってこない状況ではここにあるものが全てだからだ。

もう一つの問題が燃料だ。料理をするためのガスがない。私たちは火をおこすために薪を拾わなければいけない。子供たちは親に言われて、薪を探すために市内を歩き回っている。ある親子の会話を耳にした。「ママ!今日のご飯は何?」。「昨日と同じだよ。そう一昨日も同じだった」。

電気の供給もない。電気がなければ浄水場の施設も稼働しない。我々は喉の渇きを常に感じている。しかし、私の家の近くには井戸があるだけまだマシかもしれない。毎週木曜日、我々は井戸から水をくみ上げる仕事に従事する。ディーゼルやガソリンが手に入らないため、プラスチックやゴミをリサイクルして、何とか燃料の代わりにならないか試みている。

私は食事を終えると、友人の家に向かった。途中、学校から帰宅する子供たちを見かけた。大半の学校は地下室に作られている。この辺りにも一校あるが、10の教室が地下に設営され、400人の子供が寒い地下室で何時間もの授業を受けなければいけない。しかし、学校に通うことができる子供たちは運が良い。大半の子供たちは、勉強よりも、日々の食料を探すために精一杯だ。

ここで暮らす住民250000人は3年以上にもわたり、空爆の恐怖の中で生きてきた。小さな部屋で携帯を充電するために多くの人々が寄り添う。彼らは停戦はあるのだろうかと話し始める。そして停戦が崩壊した後には何が起きるのだろうかと不安を口にする。激しい戦闘は「革命」を強制的に追い出し、アサド政権の支配下に陥ったダマスカス近郊の都市「ダーリーヤ」の姿を連想させる。

我々は生き延びなければならない。空爆から、飢餓から、病気から。停戦が終われば、新たな空爆が始まるだろう。

アレッポで暮らす住民の声がアルジャジーラに記事として掲載されていました。この記事の執筆者はIsmail Alabdullahです。彼はホワイトヘルメットの一員であり、アレッポ東部で今も暮らす活動家のようです。現在、アレッポ東部の包囲網を打開するために反体制派が猛攻を仕掛けています。ただ、アレッポ西部のアサド政権の支配地域にも無差別に迫撃砲を撃ち込み、70人以上の市民が亡くなっています。

そして、アサド政権とロシアが攻撃の準備をしています。反体制派が追いやられれば、アレッポ東部の包囲網打開はおろか、アサド政権の支配地域として奪還される恐れもあるでしょう。今後もアレッポからは目が離せません。