フリージャーナリストという職業について

シリアから離れて、これは余談になります。ただの愚痴になるかもしれませんが、いつ役立つとも分からないアラビア語の勉強を一人黙々としていると、ときたま不安に襲われます。どうしてフリーのジャーナリストなんて志したんだろうと後悔さえします。

僕はジャーナリストに憧れていました。でも頭が悪かった。さらに興味のある対象にしか注意がいかず、視野が極端に狭かった。それでもジャーナリストになることが諦めきれず、そのまま軽い気持ちでフリーを志しました。本多勝一や開高健の影響もありましたが、戦場だったら裸一貫でフリーとして活躍できると手始めに慣れ親しんだインド、ジャンム・カシミール州に足を運びました。

初めての取材が雑誌に掲載されたとき、僕の文章と写真がお金になった、つまりジャーナリストとして認められたと素直に喜びました。でもそれは僕だけが感じていたことで、それから10年、踏んだり蹴ったりで、何とかギリギリのところで取材を継続してきました。たぶん、フリーになると意気込んでいる方々の大半が、この10年でふるい落とされるんだなあと身をもって感じました。

そして僕も辞めようかと悩んでいた矢先に、国内では東日本大震災、国外ではアラブの春が起きました。震災直後の現場に足を運ぶと、その光景に圧倒されると同時に、大勢の記者やカメラマンが殺到していました。彼らを押しのけて頭一つ抜けた取材なんて僕にはできないと肩を落として帰りました。

行く人が限られているから、平凡な取材でも評価される。それが僕がシリアから学んだことです。ただ現地に足を運んで、そこで暮らしている人たちと時間を共有する。シリアでは取材というより当事者となって体験することが僕にとっては重要でした。反体制派の地域でアパートを借りて暮らす、反体制派の組織に従軍する。

シリアでは3人の日本人の方が亡くなられています。そして安田さんの件もあります。これまでほとんど顔を合わせることのなかった新聞社やテレビ局の記者さんとお会いする機会も増えました。彼らは僕にとって今も変わらず憧れの存在です。僕にはなれなかったという嫉妬もあります。14年かけてようやくジャーナリストとして認められたのかなあとしみじみと感じました。

そうなると、今度はジャーナリストとして地位をさらに固めないといけないと思うようになりました。つまり、さらに結果を出していくという作業になります。取材が赤字になるのは慣れっこですが、せっかく認められたジャーナリストの地位はどうしたら守れるのか。シリアには入れない状況で、僕らしい取材って何ができるのだろうか。そして頭を悩ましているうちに、最初に書いたように不安に襲われて、ジャーナリストなんて目指さなければ、今頃は明るい未来が(実際はないですが)なんて妄想しては、頭を振り振りして、とりあえずアラビア語にしがみついています。

過去の経験から、意思に揺らぎが見え始めたらまともな取材はできません。カシミールのとき、シリアのときのように脇目も振らずまっすぐになれたらと思います。以前に付き合っていた女性から「うじうじしてて、女の子みたい。もっと自信持ちなよ」となじられた?励まされた?ことがあります。でも次の取材の目途が立たない今、どうしようもなく落ち込んでいます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。ただ別に励まされたいわけではなくて、たぶん励まされても状況は改善されないし、僕自身で何とかしないといけないことです。それでも少しここで愚痴っぽいことを書き込んで、気分が晴れました。以後は慎みます。よろしくお願いいたします。