人として

シリアを取材して初めて心の底から伝えなきゃと思いました。以前までは伝えることは「取材に協力してくれた方々への礼儀」、「ジャーナリストとしての義務」という側面が強くありました。でも、初めてシリアを訪れ、そこで目にした光景は、ジャーナリストという職業とは関係なく、一人の人間として、伝えないといけないという思いが自然と湧き上がってきました。

これほどひどいことが行われているのに、どうして誰も助けてくれないのだろうか。一時的ではあれ、現場に身を置くと、そう感じます。この惨状を世界に伝えれば、状況は改善されるかもしれない。多くのジャーナリスト、市民記者、活動家がシリアの窮状を世界に訴えかけました。しかし、戦況は悪化し、死者は増え続けています。それでも報道は止みません。シリアの様子は毎日のように流れてきます。

報じたところで今すぐ戦火が止むわけではない。救いの手が差し伸べられるわけではない。でも伝えなきゃいけない。そう思わせているのは、ジャーナリストだからとかではなく、やはり人間だからだと僕は思います。戦争は殺し合いです。そこに人道だとか人権だとか甘い言葉は通用しません。でもただ殺されている人々を黙って見ていられないのが人だと思います。だから世界はシリアを報道し続けるし、僕もお金にはならないけれど、時間が許す限りブログを更新しています。

と、ここまでは余談でした。ここ数日、停戦とは名ばかりの小休止を終えたアサド政権とロシアが猛攻に出ています。それがあまりにもひどいので、ちょっと僕の想いを綴ってみました。でもうまく説明できないのが悔しいです。

http://edition.cnn.com/2016/09/23/middleeast/syria-aleppo-air-strikes/index.html

停戦が発効する前より、発効後の方が戦況は悪化しています。金曜日の朝から空爆は始まり、昨日の時点で200発が反体制派のアレッポ東部に着弾しました。少なくとも女性、子供を含めた100人以上が殺害されています。瓦礫の中から救出されていない住人が多数いることから、死者の数はさらに増えるものと思われます。

さらにアレッポ東部へ供給される給水所が爆撃され、水が寸断される危機的な状況を引き起こしています。ただ今現在は一時的に寸断されていた水が何とか供給されるようになりましたが、給水所の修理が急がれます。

https://www.theguardian.com/world/2016/sep/24/aleppo-siege-tighten-bashar-al-assad-water-two-million

内戦に陥ってから、空爆が始まりました。アレッポには何千発という爆弾が降り注ぎましたが、停戦以降の数日は、過去の空爆がかすんで見えるほど激しいものでした。さらに地上ではアサド政権がパレスチナ難民が暮らしていたキャンプ、Handarat campを制圧しました。ここはアレッポ東部に繋がるCastello roadを見渡せる地区であり、戦略的には重要です。これで一段と包囲網が強化されたと言えるでしょう。と思いきや、そのすぐ後にどうやら反体制派が奪還したようです。戦闘は継続中です。

金曜日の一夜で50人以上が殺害されました。住民の誰もが明日を無事に迎えられるとは感じていません。使用された兵器には建物を木っ端みじんにするバンカーバスターもあります。もはや瓦礫に埋まった住民を救い出す手立てもなく、正確な死者数は不明です。

病院では患者の優先順位を決めなければいけません。既に医療品は枯渇しており、十分な水も用意できません。水の供給は反体制派の地区だけでなく、給水所が爆撃された報復として、アサド政権の地区に水を供給する施設の電源を落とすことで、そこで暮らす150万人の住民に水が行き渡らなくなっています。

先に紹介したアサド大統領のインタビューを思い起こせば、今起きていることは何だろうか。あまりにもひどい。戦略も何もないまま、ただただ反体制派地域に爆弾を落とし続ける。アサド大統領への忠誠心があるとすれば、彼の発言への多少の配慮はするだろう。それをまったくしないことを考えれば、もはやアサド大統領は操り人形にすぎない気がします。人形だから人間の心が分からないのかなあと悲しくなります。