パルミラ攻防戦-追加-

ttp://www.afpbb.com/articles/-/3082532

パルミラの遺跡はそれほど破壊されていない。そう報道されていましたが、AFPから配信された過去と現在の比較写真を見ると、重要な遺跡がいくつも破壊されています。何でこんなことするかなーと悲しい気持ちになります。

http://www.independent.co.uk/voices/im-from-palmyra-and-i-can-tell-you-after-what-ive-seen-that-the-assad-regime-is-no-better-than-isis-a6961681.html

私の名前はMohamed Alkhateb。パルミラで生まれ育った。ホムスの大学に通っている最中に民衆蜂起が起きた。私は故郷に帰らなければならないと思った。私と私の友人は「Palmyra Coordination」を設立して、自由を求める民衆の平和的デモを導き、互いの協力体制を助長した。しかし、治安部隊が市内に入り込み、デモは何千と膨れ上がり、加熱した民衆を我々の手ではどうすることもできなかった。そしてデモに参加した民衆の多数が殺害された。

数か月後、アサド政権は戦車50両、兵士3000人を派遣し、町を支配した。我々はデモを扇動したことで身に危険が及ぶ可能性があったため、町から逃げることを考えた。しかし、政府軍に捕まり、拘束された。我々は叩かれ殴られ、尋問のために治安施設に連行された。我々はそこであらゆる暴力の数々を目撃することになった。

尋問はこの施設だけでは終わらず、ダマスカスの「Security Branch No. 291」と呼ばれる施設に運ばれた。多数の拷問の仕方を私は経験した。決して逃れられない環境の中で、7か月後、奇跡的に私は釈放された。私は急いで故郷のパルミラに帰った。しかし、全てが変わっていた。もはやかつてのパルミラの姿はなく、治安状況も最悪だった。いつまた私は政府軍に逮捕されてもおかしくない状況だった。私は決断せざるを得なかった。密輸業者の手を借りて、トルコへと避難した。

昨年5月、イスラム国がパルミラを支配下に置いた。私はそれを聞いて、胸が張り裂けそうだった。イスラム国は残虐でそこで暮らす住民に不当な処罰を与える。イスラム国は厳しい政策を実行した。彼らが定めた掟を犯せば、厳しい処罰、ときには命も奪われた。そんな環境で暮らすのは困難であると同時に、アサド政権からの砲撃も続いた。政府軍はイスラム国からパルミラを解放するためだと言いながら、犠牲者の大半は一般市民だった。そして先月、パルミラがアサド政権によって奪還された際、町に残る住民は100人以下だったとシリア人権監視団は伝えている。

アサド政権に支配権が移ったパルミラだが、避難民は再びパルミラに帰ることを躊躇している。彼らは恐怖を抱いている。それはアサド政権を支援する形で参加している自警団の一部がイスラム国と繋がっているのでは疑っているからである。

アサド政権はパルミラの遺跡を守るためのキャンペーンを掲げているが、イスラム国と同様に政府軍の攻撃で破壊された遺跡も多くある。パルミラの住民は、私も含めて、イスラム国とアサド政権は犯罪者だと思っている。人権に対する罪、民間人の殺害、貴重な遺産の破壊、そしてそれらから身を守るために多数の住民が家を追い立てられた。私のような活動家は拘束され、拷問され、命を落としている者もいる。

私は言いたい。国際社会はアサド政権の暴虐から目をそらしてはいけない。イスラム国を罰するのと同様の処罰をアサド政権にも課さなければいけない。アサドはシリアの混乱の元凶でもある。一般のシリア人であれば、イスラム国だけでなくアサドも敵であることは当然のことである。

パルミラ出身の活動家の若者からの声をINDEPENDENTが拾い上げていました。