自由シリア軍とヌスラ戦線との深まる軋轢

停戦以降、シリア各地で反政府デモが盛り上がりを見せました。民衆蜂起の熱気を彷彿とさせるような反政府集会です。しかし、イドリブ県ではこのデモを巡って、穏健派と呼ばれる自由シリア軍とアルカイダ系勢力であるヌスラ戦線が対立しました。僕もツイッターで軽く見ていた程度ですが、結構、現地では大きく揉めているようです。その詳細を見ていきたいと思います。

http://foreignpolicy.com/2016/03/29/the-syrian-revolution-against-al-qaeda-jabhat-al-nusra-fsa/

FSA(自由シリア軍)のDivision 13を率いるAhmed Saoud大佐はトルコの港湾都市であるイスケンデルンでインタビューに答えました。「デモは日を追うごとに規模は大きくなっていく。我々は1週間ほどで町に戻り、アルカイダの野獣、ロバどもを町から追い出す」。この町というのはイドリブ県に位置するMaarat al-Nu’manです。

2週間ほど前からこの町ではヌスラ戦線とFSAがデモを巡って揉めていました。FSAは西側諸国からの支援を得ているということでヌスラ戦線は彼らに不信感を募らせていました。反政府デモが始まると、住民はFSAの三ツ星の国旗を掲げましたが、それをヌスラ戦線は快く思わず、デモの排除に乗り出しました。そこからFSAとヌスラ戦線がガチでいがみ合い、町からFSAを追い出した形で決着しました。

その後、戦闘は収束したものの、この町の住民が反ヌスラ戦線のデモを活発化させました。仮にFSAがヌスラ戦線によってその思想、世俗的で穏健派、が壊れることがあれば、シリアの民衆は3つあった選択肢が2つに絞られます。つまり、ヌスラ戦線のような厳格なイスラム法に縛られた世界かアサド政権による従来型の統治体制。しかし、アサド政権は論外としても、ヌスラ戦線による統治を嫌う住民は少なくありません。そのためデモは今でも継続的に行われています。

Maarat al-Nu’manのケースを見てみます。2016年3月11日、シリアの民衆蜂起から5年目を迎えたこの日、大規模な反政府デモが発生しました。彼らは反体制派の三ツ星の国旗を掲げて、スローガンを叫びました。そこにヌスラ戦線が駆け付け、国旗を禁止し、スローガンを叫ぶためのマイクロフォンを奪いました。翌日にはヌスラ戦線は検問を設置し、FSAの主要なメンバーを拘束しました。この町がそもそもFSAの強固な支持基盤であるだけに、住民は非難の声を上げました。さらにFSAが貯蔵している武器も強引に奪いました。

ヌスラ戦線は常にFSAよりも戦力は上回っていました。その理由は何か。それはヌスラ戦線が強すぎるのか。そしてFSAよりも人気高いのか。今回のヌスラ戦線との衝突によりFSAは7人の戦闘員を失い、何十人も負傷しました。少なくとも10人がヌスラ戦線によって拘束、刑務所に入れられました。そして、他のFSAの組織はこのDivision 13を支援することはありませんでした。これはなぜか。もし他のFSAが助けにはいれば、ヌスラ戦線の新たな標的にされるからです。それほどヌスラ戦線はイドリブでは強大な力を誇っていることでしょう。

しかし、この町の住民はヌスラ戦線を恐れませんでした。Division 13が町から退去すると、住民は反ヌスラ戦線デモを繰り広げ、ヌスラ戦線の国旗を引き裂き、一部のヌスラ戦線の拠点に火を放ちました。裁判所が仲裁に乗り出し、ヌスラ戦線に対して拘束しているFSAの戦闘員の釈放と奪取した武器の返還を下しましたが、まだ実行はされていません。それでも一部の戦闘員の釈放はなされ、裁判所に圧力によりヌスラ戦線は町から撤退しました。ヌスラ戦線のこの決断は反ヌスラ戦線で反体制派同士でいがみ合えば、アサド政権が有利に事を運ぶことへの懸念からでした。

停戦によりイドリブの町で空爆が一時的に止んだことで、ヌスラ戦線の必要性に住民は疑問を持ちました。そして停戦に好意的であるFSAに反感を抱いたヌスラ戦線を住民が追い出しました。しかし、ヌスラ戦線とFSAとの争いは今後も続くことが予想されます。また住民もヌスラ戦線とFSAの支持で分かれています。

停戦はある一定の成果を生みました。しかし、停戦を支持するFSA、そしてFSA側に寄り添ってるアハラール・アッシャームという強大な反体制派組織、それに対して、停戦に断固として反対しているヌスラ戦線、この「停戦」を境に反体制派組織も大きく揺れています。そしてアサド政権は着実に基盤を固めています。