パルミラ攻防戦-アサド政権とイスラム国

2012年3月にダマスカスに降り立ち、5月初旬だったかな、取材が無事に終わり、一カ所くらい観光地を見てみようと思い、向かった先がパルミラでした。3カ所か4カ所あるパルミラへと繋がる道路は全て政府軍の検問が設けられており、戦車が待機していました。遺跡には誰もいなくて、列柱通りをウロウロと散策して、タクシーで丘の上にある城塞に足を運びました。とても綺麗な街でした。シリアに足を運ぶたびに思うのが、民衆蜂起がなければ、内戦に陥らなければ、多くの観光客で賑わっていたのだろうなあという悲しい気持ちです。

そんなパルミラがイスラム国の手に落ちたのが、昨年の5月です。アサド政権が断続的に攻撃を仕掛けていましたが、なかなか奪還できず、手をこまねいていました。そこに、ロシアが登場しました。政府軍、ロシア、イラン、民兵がパルミラ奪還作戦に乗り出したのが、先月の27日になります。当初は散発的な戦闘に終始しましたが、今月中旬から本格的な戦闘に発展しました。特に22日から24日の戦闘では、ロシア軍は146カ所の標的に対して戦闘機の出撃回数が41機です。その数日後、つまり昨日の27日、パルミラはアサド政権の支配地域に変わりました。

http://iswresearch.blogspot.jp/2016/03/russian-syrian-iranian-coalition-seizes.html

10カ月に及ぶイスラム国の支配により、パルミラの遺跡にも一部被害が出ました。しかし、予想に反して、大部分の遺跡は原型が保たれ、無傷でした。政府軍の兵士の一人はAFPに答えています。“We were so scared we would enter the ruins and find them completely destroyed,” 。町に入った途端、我々は遺跡の全てが破壊されているんじゃないかと恐れていた。“We were afraid to look … But when we entered and saw it, we were relieved,” 我々は見るのを躊躇したが、実際に町に入り、この目で見たとき、ホッと胸をなでおろしたよ。

しかし、遺跡は無事でも、市街の至る所には戦闘の傷跡が見えました。民衆蜂起以前は7万人が暮らしていた町も今はひっそりと静まり返っています。アサド政権の公式の声明が発表されました。“We have restored security and stability to the city of Palmyra, and established full control on the surrounding, commanding hills,” パルミラの安定と秩序を取り戻し、戦略的な丘陵や周辺地域は我々の支配下に置かれた。

http://www.theguardian.com/world/2016/mar/28/palmyra-after-isis-images-taken-following-syrian-recapture-offer-hope-amid-ruins

パルミラでの戦闘によりイスラム国の戦闘員は400人以上が殺害されました。これはアサド政権にとって大きな勝利であり、イスラム国にとって大きな敗北です。以前から国連や国際社会からアサド政権とロシアはイスラム国との戦いに消極的だと非難されていましたが、今回のパルミラ奪還作戦はその非難を十分に吹き飛ばせるほどの効果があるでしょう。これでまた一つ、アサド大統領の地位が堅固なものとなりました。

ただパルミラと言えば、外国人にとっては世界遺産にも登録されている古代都市というイメージですが、シリア人にとってはタドモル刑務所が真っ先に頭に思い浮かぶと思います。イスラム国がパルミラを制圧した際に刑務所は早々と爆破されました。この刑務所では多くの囚人が人権を無視した形でアサド政権によって拷問、殺害されました。

最後に僕がパルミラを訪れたときに撮影した写真を掲載したいと思います。パルミラの主な収入源は観光業だと思います。僕が町中で話を聞いたホテルのオーナーや土産物屋の店主は観光客がまったく来ないと嘆いていました。それとパルミラも民衆蜂起に賛同してデモや武装闘争は行われたのですが、砂漠にポツンと存在するこの町は陸の孤島です。結局、周辺の主要な供給ルートをアサド政権に押さえられ、沈静化しました。

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