白いヘルメットの救助隊ー追加ー

命がけの救出作業に尽力する白いヘルメットの方々について追記です。

http://europe.newsweek.com/white-helmets-syrian-civil-war-418001

トルコとの国境沿いに集まった訓練生の職種は様々である。学生、教師、八百屋、農夫。彼らはこれから緊急救助隊、Syrian Civil Defenseの隊員になるため訓練を受けます。通称、白いヘルメットと呼ばれる市民防衛隊は中立的で非武装を掲げています。

訓練所には焼け焦げたバスや壊れた建物が見られ、それらは実際の現場を再現したシミュレーションとして利用されます。正確な場所は非公開とされ、隊員、訓練生の名前を聞いても、大半がファーストネームだけ答えます。なぜなら、この地域にはイスラム国のスパイが潜り込んでいるからです。

訓練を終え、まもなく訓練生は市民防衛隊として帰郷します。最近、イドリブでは空爆で50人以上が亡くなりました。それを思うと、彼らの心は憂鬱です。それでも、ここシリアへの深い愛着と訓練生の幾人かは子供のころから顔見知りであり、彼らが引き受けた命をかけた危険な仕事に使命感を持って臨みます。

ガソリンで火をつけた建物の前で訓練生は消火活動に励みます。教官の一人、4人の子を持つハーリドのジャケットの後ろには「ないよりはましだ」と殴り書きされています。「ちょっとした皮肉なユーモアさ。こんな言葉でも緊張の糸は解けるんだ」。ある隊員は話します。「羊の肉を売りさばく市場に爆弾が落ちた。現場には羊と人間の肉片が散らばっていた。25人が命を落とした。もはや人間だと判別することさえ困難な状況がそこには広がっていた」。

こんなユーモアを口にする隊員もいます。煙草を口にくわえた彼は「煙草が原因で死ぬなんて心配事は些細なことに思えるようになったよ。なぜなら、俺たちは多分だけど、世界で最も危険な仕事に従事しているからだ」と言います。

救助隊員はシリアには2800人以上います。そのうち80人は女性です。給料は月に150ドル。これまで彼らは40000人以上の人々の命を救ったと言われています。救助は主に反体制派の支配地域で行われますが、ときにはアサド政権に与するヒズボラやイランの戦闘員を救助することもあります。「一つの生命を救うことは、人類を救うことである」。敵味方分け隔てなく救うことが彼らのモットーです。しかし、大半の犠牲者は戦闘員ではなく一般市民です。

この戦争に注がれる国際支援の輪は限定的です。シリア国内で活動するにはリスクが付きまといます。そのため市民が受ける被害は甚大です。教育から医療まで社会のコミュニティは崩壊しました。学校は何年もまともに機能していません。慢性的な病気、癌や糖尿病を抱える患者は治療することができず、死を待つしかありません。

イギリス、オランダ、日本の政府が出資して参加者を募り、2013年に白いヘルメット、市民防衛隊は結成されました。年間3000万ドルの予算で装備品、崩壊した建物から人々を救出するためのドリルなどの購入にあてました。最初は海外からのアドバイザーの支援を受けた後、徐々に人員を増やしていきました。これまで110人の隊員が命を落とし、負傷者はその4倍に当たります。平均年齢は26歳、最も若い隊員は17歳になります。彼らは昼夜問わず働き、ときには空爆の標的にもされます。

訓練を終えた卒業生には白い制服とヘルメットが与えられます。そして武装しない、常に中立であることを誓わせます。しかし、訓練と実戦は別物です。この仕事で困難なことは肉体面だけでなく、死傷者を見ることで被る精神的な側面を克服することにあります。教官のハーリドは言います。「殺すことは簡単だが、命を救うことは容易ではない。時には我々の忍耐力を超えるほどのプレッシャーに押しつぶされそうになる」。

市民防衛隊に一度加わると、辞める人はほとんどいません。市民防衛隊に加わるため難民として暮らしていたドイツを離れ、シリアに来た者もいます。彼は「戦争が悪化すればするほど我々を必要とする人々がいる。そこには何か意味があるはずだ」と答えます。市民防衛隊の設立者の一人、サレハは答えます。「生命を救うことへの感情を表現するための適切な言葉はない」。「我々も攻撃の対象にされている状況ではそのような感情を常に保持し続けることは難しい」。一度目の空爆で救出に向かったところ、さらに一撃をくわえる「セカンド・タップ」で隊員が命を落とすこともあります。

隊員の29歳のオサマは言います。「私は徐々にゆっくりと恐怖を克服したはずだった。だが、ロシアの空爆が始まると、以前よりも恐怖を感じるようになった。ロシアの空爆は別物だ」。そんな市民防衛隊をアサド政権、ロシア支持者はヌスラ戦線の仲間だとなじります。しかし、彼らは言います。「もし危険を冒してまで人々の命を救いたいと決断した者は、原理主義に反対しなければいけない。市民防衛隊は常に中立で良いシリア人の代表者であらなければならない」。

隊員は言います。「ロシアが一般市民の居住区をまずは攻撃した。さらにもう一発は我々の施設に落とされた。たった数分で施設は機能を失い、9人のうち7人が重傷を負った」。さらに続けます。「この空爆の数日前には40発のクラスター爆弾が落とされた。現場では人々が助けを求めて泣け叫び、我々もどこから手を付けていいのか分からないほどだった。それでも懸命に救助活動を行い8歳の少女を瓦礫の中から見つけ出した」。「少女を見つけたとき、彼女は言ったんだ。まずは私の妹を助けてと。しかし、彼女の双子の妹はそのときには瓦礫の下敷きになり亡くなっていた」。

別の隊員のオサマは言います。「10月の終わりだった。あの日は最悪だった。難民が暮らしている養鶏場がロシアに空爆された。私はドリルを担いで急いで現場に向かった。そのとき監視役の一人が言ったんだ。ダブルタップだ。私は車から降り、二度目の空爆を虚しく見送った。現場に駆けつけると、既に救出作業をしていた隊員の多くが重傷を負っていた。あのときは、何もできないことに絶望を感じたよ」。

革命以前は英文学を勉強していた25歳のホッサムは言います。彼は1カ月間、アサド政権に拘束された経験がありました。彼は暴力を使わない手段でこの国を救いたいと考えました。「私の市民防衛隊での生活は3年になります。私はこの仕事に誇りを持っています」。しかし、彼もまた過酷な現場を経験しています。彼は瓦礫の中から見つけたのは小さな少女の遺体でした。その母親は我が子を失くして、「私の天使たちはどこなの」と泣いていました。

数日後、その瓦礫を取り除くと、切断されてボロボロになった遺体がいくつも見つかりました。それを見て、彼は続けていけるか自信を失いかけましたが、彼は言います。「爆弾は破壊するが、我々は再建する。アサド政権は殺人をするが、我々は救出する。以前ような生活が戻るかは分からない。でも、一つ言えることがある。それは我々は何もないところから、何かを作り出せるのだ」。