あけましておめでとうございます

2013年、2014年、2015年、毎年、同じ抱負を掲げていました。実現不可能な抱負であり、もちろん実現されていません。その抱負とは「今年こそ必ずドゥーマに行く」です。ドゥーマとはダマスカス郊外にある町です。2012年3月、僕はダマスカスに降り立ち、4月からの1カ月間をドゥーマで過ごしました。毎日のように戦闘が発生し、多数の死者が出る中、私はドゥーマの住民の一人として本当に心の底から「こんな世界はおかしい。なぜ誰も助けてくれないんだ」と憤りを感じました。

シリアは世間一般に知られている常識から逸脱している世界です。既にいくつかの紛争地を訪れている僕にもシリアで行われていることは飛びぬけていました。そして改めてこれが戦争なんだなあと実感しました。戦争とはこういうものなんだ。つまり、戦争だからこんな理不尽な世界も許されるんだなあと理解しました。

ドゥーマで借りていたアパートのはす向かいに雑貨屋がありました。店番をしているのは50代くらいの初老のおじさんで、知的障害を抱えた20代後半くらいの息子さんもいました。物資の供給も不安定で品ぞろえも乏しく、僕が行くと、「ここより少し先のスーパーマーケットの方がほしい物が手に入るよ」と教えてくれました。それでも可能な限り、僕はここを利用しました。僕が来ると、息子さんがいつも喜んでくれて、何度も握手を求めてきたりしました。その度におじさんが「お客さんの邪魔だろ。ごめんね」と苦笑いを浮かべていました。彼らは今頃どうしているのだろうかと考えると、胸を痛めます。そして「あの人は」「あの人は」と次から次へと別の顔が頭に浮かんできて、泣きそうになります。

最初の取材が印象的であれば、次の取材への弾みになります。その後、2012年10月、2013年2月、2014年5月、2015年4月とシリアでの取材を重ねましたが、ドゥーマにはたどり着くことはできていません。そして今年、ドゥーマどころか、シリアにすら入ることは非常に困難になるものと思われます。それに初めの頃は大使館から注意を受けるだけだったのが、外務省、公安からもきつく忠告されるようになりました。「シリアに行きます」と公言するだけで、パスポートが取り上げられるような異常な事態です。シリア入りを警戒して、トルコの入国を拒否されている記者や写真家が幾人もいます。

確かにシリアは危険です。でも危険だから行くなとメディアの人間に足かせをはめるような態度には反対です。僕はシリアに行く予定はありません。もちろん明日行くとしても同じ言葉を口にしますが。でもシリアの情勢を見ていれば、よほどのコネクションを持っているか、もしくは無謀な人間でない限り、行かないでしょう。少なくともジャーナリストはですが。義勇兵志願の方々はまた別です。ただ最低限の安全が保証され、行けると踏んだときは迷いません。その際は大目に見てください。現場で取材をするということはシリアに限らず非常に重要です。でもそんな人たちは少ない。少ないから貴重でもあるのです。

何が言いたいのかよく分からない文章になっちゃいました。それで今年の抱負はやっぱり「ドゥーマに行く」です。絶対に行けない、行かないのは僕も十分に理解しています。それでも毎年ずーとこの抱負だったから、そのまま継続していくだけです。今年は多少でもシリアの状況が改善されればと祈っています。