イスラム軍司令官、ザハラーン・アッルーシュの死

昨日、ザハラーン・アッルーシュ(Zahran Alloush, زهران علوش)がロシア軍の空爆により殉教しました。彼は1971年生まれ、ダマスカス郊外のドゥーマ出身です。彼の息子の一人はサラフィー主義の説教師でサウジアラビアで暮らしています。彼自身もサウジアラビアのイスラム大学でシャリーアの修士号を取得している切れ者です。

https://en.wikipedia.org/wiki/Zahran_Alloush

どのメディアでも彼の死は大々的に報じられています。

http://www.theguardian.com/world/2015/dec/25/zahran-alloush-leader-syria-rebel-group-killed-airstrike

東グータ地域での会議中にロシア軍の空爆を受けました。アッルーシュの他に5名の指揮官が殺害されました。彼は経歴からも分かるように厳格なイスラム教徒です。アラウィー派やシーア派の排除を促す言動も見られました。しかし、イスラム国とも敵対しており、宗派間の抗争を煽るような言動は最近では見られず、西側諸国から受け入れられやすい人物だと思われていました。

http://www.nytimes.com/2015/12/26/world/middleeast/zahran-alloush-syria-rebel-leader-reported-killed.html

イスラム軍は2016年初頭に開催される和平交渉の調整のために今月、メンバーをリヤドに派遣しました。しかし、彼の死によりイスラム軍の姿勢は硬化しました。「彼の殺害はリヤドでの交渉を拒絶しているロシアの意思表示だ」。そう反体制派は憤慨しています。しかし、彼は反体制派組織の全てに支持されているわけでもありません。

「彼は政府軍と秘密裡に交渉をして金を儲けている」。「サウジアラビアから提供された武器を他の反体制派組織に分け与えず、自らの組織(イスラム軍)だけでため込んでいる」。その他にもイスラム軍を批判した人権活動家を誘拐しています。

http://www.joshualandis.com/blog/death-of-zahran-alloush-by-aron-lund/

ザハラーン・アッルーシュとは何者なのか。冒頭で簡単に紹介しましたが、もう少し掘り下げます。民衆蜂起が発生する以前に彼は政治的、宗教的活動により何度か逮捕され、刑務所に送られています。2011年6月に釈放されると、すぐさま彼の故郷ドゥーマを拠点とした反体制派組織を形作ります。

ドゥーマには爆弾が降り注ぎ、食料は枯渇し、戦闘が一層の激しさを増す中でも、彼は自ら前線に赴き、部隊をまとめ上げ、その果敢な姿勢から多くの戦闘員からの支持を集めました。2013年夏には化学兵器の使用により1000人を超す犠牲者を出しました。それでもドゥーマを含めた東グータ地域の安定性を堅固にするため、彼のカリスマ性は、反体制派組織の結束に役立ちました。

しかし、彼のカリスマは独裁色を強めていきました。食料や武器の運搬に使用される密輸ルートは彼の組織、イスラム軍に牛耳られ、持ち運ばれた食料は高値で売買されました。また彼を批判する言動は許されませんでした。反体制派の中には、彼はバッシャールと同じ独裁者だと揶揄する人もいました。

イスラム軍は2013年9月に結成されました。結成というより、イスラム部隊からイスラム旅団と名前を変えながら、最終的にイスラム軍に改称されました。2014年8月、反体制派組織の一部がイスラム軍に統合されました。とはいっても、アッルーシュの操り人形というわけではなく、個々の組織の力は保持されました。

イスラム軍=ザハラーン・アッルーシュと言っても過言ではないこの組織が今後、どのように発展するのか、衰退するのかは現時点では分かりません。既に後継者は報じられていますが、先行きは不透明です。僕はドゥーマの情報を収集する中で、イスラム軍はよくやってるなあと感心していました。しかし、アサド政権と何かしらの取り引きはしてるんじゃないかとうかがえる節も見られました。それがロシアの参入により、イスラム軍とアサド政権の関係に変化が出たのでしょう。

あとガーディアンとNYTimesの記事の最後の方に、ダマスカスのヤルムーク地区からイスラム国が撤退するとの報道がされています。撤退というより、停戦が合意され、イスラム国はシリア北部へと移るみたいです。3年余り、包囲されてきたヤルムークが解放されれば少しは物資も入るのでしょうか。ホムスの停戦といい、包囲されている反体制派地域が徐々にアサド政権の手に落ちています。ドゥーマはどうなるのか。