ハフィントンポスト-Charles Listerによるレポート-

http://www.huffingtonpost.com/charles-lister/not-just-iraq-the-islamic_b_5658048.html

6月10日、イスラム国がイラク第二の都市モスルを制圧した。8月2日にはヤジディ教徒が多数暮らす町Sinjar、3日には Zumar, Wana、そしてAin Zalahの油田と精油所、7日はキリスト教徒が多数暮らすQaraqosh、the Mosul Dam、クルド人自治区の主都アルビルから30キロ足らずの距離に位置する二つの村、GhwarとMahmourも支配下に置いた。しかし、イラクに限らず熱戦を繰り広げているのがシリアである。

ホムス県の Al-Shaer gas fieldを押さえたのが7月17日、警備員、労働者、政府軍、ざっと270名が殺害された。7月26日にガス田から撤退したイスラム国は重火器、及び15両の戦車を戦利品として持ち去った。

7月24日からイスラム国はSAA(Syrian Arab Army)とアレッポ、ラッカ、ハッサケで本格的に衝突し始めた。7月25日、ラッカにある政府軍の17師団基地が狙われた。26日にはハッサケの121連隊が撃退された。アレッポではKweiris Airbaseが爆撃され、8月6日はラッカの93旅団が制圧された。重要なことはSAAが弱体化しているという見方と並行してイスラム国は軍事施設を制圧することにより豊富な武器を保有していることである。

M46 130mmカノン砲(27キロを射程に収める)、BM-21 122mm多連装ロケットランチャー(15キロから20キロを射程に収める)、T55戦車、数百発のRPG、何千発の小火器の弾薬、何十台の軍用車両、その他にも手榴弾、対戦車ミサイルをSAAから奪取している。その多くが17師団と93旅団から略奪したものだとされている。

ここで避けられない疑問が生じてくる。なぜイスラム国はSAAを標的に攻撃を始めたのか。またSAAはなぜイスラム国を標的に6月に空爆を開始したのか。2013年中旬以降、SAAとイスラム国の目立った戦闘は確認されていなかった。それはSAAとイスラム国が裏で繋がっているのではという憶測をもたらすほどだった。イスラム国は反体制派を攻撃している。アサド政権の諜報部門はそこに目を付けてイスラム国を野放しにしていていたのではと考えられている。

またイスラム国が北部で暴れている間隙にアサド政権はダマスカス-ホムス-タルトゥースのルートに兵力を集中させ、反体制派を駆逐した。同様にイスラム国はアサド政権の脅威に怯えることなく、北部での支配権を確立していった。しかし、互いの蜜月関係に終止符を打つ出来事がイラクで起きた。イスラム国がイラクで勢力を拡大することで大量の武器と人員がイラクからシリアへと流れた。その過程で2014年の1月から3月にかけてイスラム国が失った北部地域の奪還へと乗り出した。

イスラム国は勢力拡大の過程でSAAとYPG(クルド人組織、人民防衛隊)の攻撃を強めている。ラッカ、ハッサケ、アレッポ東部での戦線が主体である。デリゾールでは部族民がイスラム国による支配を嫌い闘争に乗り出しているが、装備が貧弱であるため撃退することは難しいと予想される。

これらの地域を制圧すれば、イスラム国は本格的にアレッポからイドリブに乗り込むことが予想される。しかし、そのイドリブではイスラム戦線、ヌスラ戦線、革命家戦線が互いに激突している状況である。これらの出来事がイスラム国の将来にどう影響するのかが今後試されるだろう。