なぜ危険なシリアに足を運ぶのか-追加-

「取材される側」が報じられるのは当たり前ですが、「取材する側」の視点に立った記事を多く見かけるのがシリア紛争の特徴です。シリアに関するグロテスクな映像は動画投稿サイトなどを通じて世界へと発信されていますが、それらの映像や写真は第三者の手によって撮影されています。第三者とは「活動家」「市民記者」「海外メディア」と言われる職業に就いている人々です。彼らの存在は貴重であると同時に、時には特定の人々にとって邪魔な存在にもなります。なにより危険を伴い、命を落とす記者や写真家が後を絶ちません。それでも新たな担い手がシリアの惨状を伝え続けています。チャンネル4からLindseyHilsum記者のレポートをテキスト化したものです。

http://blogs.channel4.com/lindsey-hilsum-on-international-affairs/mission-peril/3030

8月21日、ある映像が世界を揺るがした。ダマスカス郊外のグータ地域で化学兵器が使用されたというニュースである。撮影したのは地元の住民であるが、外国メディアが不在の中、彼らは市民記者となって、目の前の惨状を訴えかけた。多数の遺体、呼吸困難に陥る老若男女、必死で治療を施す医師やガスマスクを装着したFSA。彼らが記録しなければ、闇に葬り去られていた可能性も否定できなかった。1988年のイラクでのクルド人に対する化学兵器使用が発覚したのは、1週間以上が経過してからのことである。NYTimesがこう評価している。市民記者とは「情報」である。そして本来の記者としての仕事とは彼らの「情報」をどのような評価を加えて報じるかである。確かに市民記者の大半がカメラを携えているだけの地元民である。意図的に編集することで情報を巧みに操作することも可能である。なぜなら現場には第三者の目が不在だからである。その中で日々流される「情報」をどう評価していくのかがシリアで何が起きているのかを理解する鍵となるのである。

シリアでどれだけの記者や写真家が命を落としているのかを正確に把握することは困難である。市民記者に限れば85名が死亡、プロの記者として活動している者だと25名(うち5名が外国人)、誘拐された者は37名に上る(Reporters sans Frontieres、The Committee to Protect Journalistsから引用)。18名が未だに人質として捕らえられていると見られる。さらにメディアの手足となるガイドやドライバーなどを含めれば、さらに犠牲者の数は増える。

私の親友にMarie Colvinがいた。彼女は2012年2月にシリアのホムスで殉職している。彼女は私にこんな言葉を残している。「この仕事に危険は付き物であるが、命を賭けるだけの価値もある」。しかし、私たちは口には出さないが、こうも感じていた。「死を代償にしてまで取材する価値があるものはない」。両者には矛盾がある。危険を冒してまでする価値がある取材はある。しかし、死を代償にしてまでする価値ある取材はない。

私も紛争地には訪れた。決断よりも運によって何度も命を救われたこともある。シリアは他の紛争地と比べて特殊である。なぜならあまりにも簡単に足を運べるからである。メディアの人間以外にも、度胸試し、冒険好き、戦場旅行者、様々な目的を抱えてシリアに入国している。また一旗上げると意気込む若いフリーランサーも多い。戦場記者、戦場写真家志望の若者を魅惑する紛争地、シリア。

私たちは殉職したメディアの人間を異常なまでに賞賛する傾向にある。もちろん彼らの死には敬意を払うべきではあるが、崇拝するような人物にまで祭り上げることは避けるべきである。

私たち、海外メディアは、活動家や市民記者からの情報に頼るべきだとは思わない。彼らは我々と同様に重要な情報提供者ではあるが、彼らと我々ではスタンスが異なる。同じ土俵の上で戦っているわけではないのである。警告のベルが頭の中で鳴り始めたら、直感を頼りに迷わず退くべきである。また駆け出しの記者や写真家であるならば、命を賭けるような行為とは違った形での素晴らしいストーリーを書き上げることも自らの証明であること忘れてはいけない。

メディアの人間は、危険よりも失敗を怖れる。同業者からの嘲笑や軽蔑の視線に曝されたくないという過度な妄想から自らをより危険な水域へと押し上げる。しかし、それは妄想でしかない。失敗したところで周囲から責め立てられるようなことは少ない。重要なのはストーリーを伝えるためにはまずは生きて帰ることが前提であり、生きて帰れれば取材がどうであれ成功なのである。なぜなら死ねばそこで終わるが、生きていれば次があるから。

本来の記事よりかなり加筆しています。水増し?僕の勝手な解釈もあると思います。彼女はシリアを例にあげていますが、全ての紛争地で取材をしている記者や写真家に助言をしています。僕がこれを読んで感じたのは、山本美香さんが亡くなったときです。そのときの現象は、この記事でも書かれている「cult of martyrdom」に近かったのではないかと思います。何かが違うと。。。シリアが置き去りにされたまま、山本美香さんばかりが脚光を浴びている。異様な感じがしました。その後は戦場ジャーナリストや戦場カメラマンという職業に注目が集まり、僕もインタビューを受けましたが、ここでもシリアは蚊帳の外でした。そして今の日本のシリア報道にも違和感があったりします。

あと・・・取材に失敗するのって・・・本当に後味悪いんだよなあ。。。肩書きに傷が付くとか、面子が潰れるとか、結果を残せないことで自分の評価が落ちるとか、そんな個人的なことがフリーランスをやってるとかなりのプレッシャーになったりします。渡部陽一さんと違って僕には知名度がないから、ある意味、気が楽なんだけど。余談でした。