مظاهرات-民の声-

ムザーハラ(複数形はムザーハラート)。アラビア語で「デモ」を意味するこの言葉。三つ星が並んだ旗を掲げて、アサドの退陣を望む民衆。革命当初、このデモがシリア全土で繰り広げられた。親族、家族間ですら政治の話題を避けていた民衆が立ち上がった瞬間である。ダマスカス、ホムス、ハマ、ダラー、その他の都市でも何千人、何万人が広場で「シャーブ・ユリード・イスカータ・ニザーム(国民は政権が倒れることを望んでいる)」と叫び声を上げた。

僕が初めてデモを見たとき、感涙した。実際に涙がこぼれたわけではないけれど、心の底から震えた。ダマスカスのミダーン地区にゼイン・アル・アッビディーンというモスクがある。金曜礼拝のこの日、モスク周辺には治安部隊が警戒に当たっていた。僕は礼拝に向かう民衆に紛れて、モスクへと入り込んだ。礼拝が終わると同時に、誰かが叫んだ。「アッラー・アクバル!」。その途端、静寂に包まれたモスクが突如として熱気を帯びた。隠し持っていた手作りの三ツ星の国旗を広げて、民衆が叫ぶ。プラカードが掲げられ、「アダム・スンニ・ワヒド・ハイヤ・アル・ジハード(スンニ派の血は一つとなって聖戦に向けて立ち上がろう)」という文字が浮かぶ。デモの興奮は若者を奮い立たせ、その勢いは外部に波及した。銃声が鳴り響く、ボコボコにされて連行される若者。僕はモスクの中からこっそりとその様子を見つめていた。2012年3月のことである。

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軍事介入が現実味を帯びる発端となった化学兵器による攻撃。標的にされたのは東グータ地域。ドゥーマでも多くの死傷者を出した。僕がドゥーマに滞在したのは2012年4月の1ヶ月間。慌しかった。引越した翌日から市街戦が展開され、外出すらできない状況に陥った。憐れな日本人。僕は空腹に耐えかねて、そっと外の様子を覗うと、わずか数メートル先で爆発音と共に噴煙が上がった。自由シリア軍が目の前を走り抜けて、僕を見ると、手を振った。僕もそっと手を振ると、相手はさらに激しく手を上下させた。「中に入ってろ!」という意味だったらしい。ドゥーマでも毎日のようにデモが行われた。彼らは皆、楽しそうだった。特に子供たち。でも彼らの笑顔がいつまで続くのだろうか。ある大人はデモに向かう子供を叱り付けていた。デモを行うことがどれほど危険な行為なのか、一部の大人たちは冷静に受け止めていた。そんな中、僕はデモの撮影中、肩車をされて、「日本人!日本人!」と担ぎ上げられていた。秘密警察がいたら、どうしてくれるんだと肝を冷やした。

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シリア第二の都市アレッポ。町は破壊され尽くしていた。迫撃砲、空爆、ミサイルが降り注ぐ。主食であるパン(ホブス)屋の前には長蛇の列。僕は身を寄せていたメディアセンターの仲間たちにホブスを買ってあげようと、最後尾に並んだ。2時間ぐらいはかかるだろうなあ。いや、その前に売り切れ御免で買うことすらできないだろう。そう思っていると、列に並んでいた人たちが僕の背中を押した。そして、焼き立てのパンを20枚ほど束にして手渡した。「えっ、いや、駄目だよ。僕も列に並ぶよ」と必至で訴えかけても、彼らは受け付けようとしない。泣いた。そんなアレッポでも毎週金曜日にはデモがどこかで必ず行われる。ブスタン・アル・カスリ地区。隣接する地区は政府軍支配地域。それなりの人数がデモに参加している中で、冷ややかな眼をした住民も見られる。「自由シリア軍は我々、一般市民を守るために戦っている。でも・・・この町を見てくれ。破壊ばかりだ。自由シリア軍なんて何の価値もなかったんだ」。そう憤る中年女性。その声に耳を貸さない自由シリア軍。「あいつは頭がおかしいのさ」。その一言で彼女の言葉は捨てられた。

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デモについて写真を添えてみました。ちなみにアレッポでは僕もデモに参加したんですが、あの一体感は何とも言えなかった。ドゥーマでも皆と一緒に叫びたかったけど、そんな勇気はなかった。。。悔やまれる。