化学兵器について-追加-

化学兵器による攻撃で1000人以上が殺害された。大惨事です。しかし、現場の地獄絵図を思い描ける人がどれほどいるでしょうか。空爆が秒読み段階だと報じられる中、国連の調査団の調査結果を待たずして、空爆を行うのは非道だ。こんな意見を言う人は、この2年半のシリアの内戦をどのように受け止めているのでしょうか。逆に化学兵器でたくさんの一般市民が殺された、空爆は当然だ。こんな意見の言う人は、それじゃあ、実際の現場がどのような惨状であったのかを詳細に語ることはできるでしょうか。シリアから遠ければ遠いほど、距離的にも利害関係からも、そんな国ほど報道が短絡的になりがちです。これは僕自身にも言えることです。僕の頭の中は「空爆はいつ始まるのか」「始まったらアサド政権はどうなるのか」と空爆の原因ともなった化学兵器で命を落とした人たちのことを忘れがちです。説教臭いことを書き綴って申し訳ありません。NYTimesからの記事になります。以前のブログの内容とかぶる箇所もあるかもしれません。誤訳もありえるので、英語が多少でも出来る方は原文を読んでもらえれば助かります。

http://www.nytimes.com/2013/08/27/world/middleeast/blasts-in-the-night-a-smell-and-a-flood-of-syrian-victims.html?_r=1

ミサイルが着弾して数時間後、まだ夜が明けきらないダマスカス郊外の病院に数千人の人々が押し寄せた。搬送されてきた患者は身体を痙攣させ、口からは泡を噴き上げていた。彼らの視界はぼやけているようであり、多くが呼吸困難に見舞われていた。困惑した医師たちは大急ぎで解毒剤を投与し、化学兵器に侵された神経機能が回復することを願った。次々と運び込まれる負傷者、やがて解毒剤は底を尽きた。さらなる毒ガスによる汚染を防ぐため、患者の衣類は脱がされ、水で身体を洗い流した。

Kafr Batna地区の医師はホラー映画のワンシーンを思い出した。一家全員が搬送されてきた。父親、母親、その子供たち。全員が息を引き取った。しばらくして医師はある問題に直面した。遺体をどこに保管すればいいんだ。夏であるため気温は高い。幾人かは腐敗を防ぐため、冷やした毛布で包まれたが、その他は白地の布で覆い、遺族が身元を確認できるよう床に並べられた。

ホワイトハウスは静けさに包まれていた。休暇を終えたばかりのオバマはニューヨーク、ペンシルベニアへの2日間のバスツアーの計画を立てていた。定例会議が始まった。その最中にシリアでの惨事がオバマの耳に飛び込んできた。ホワイトハウスは慎重な姿勢でシリアで起きた惨劇への公式声明を伝えた。しかし、その裏ではオバマと国家安全保障チームの面々が性急に対策を練っていた。これほど大規模な化学兵器による攻撃は1988年のサダム・フセインがサリンを散布してクルド人を虐殺したあの忌まわしい事件以来である。

化学兵器による攻撃はアサド政権の非難と同時に軍事介入を行うだけの説得力があった。既に2年以上が経過し、10万人が命を落としているシリアは転換期を迎えていた。他の戦争に関わることを避けていたオバマ政権も「Red Line」を完全に踏み越えた今回の行動には軍事介入で応えるしかなかった。アサド政権は化学兵器の使用を否定したが、西側諸国は十分な証拠があることを明言し、少なくとも水曜日の夜、2度の化学兵器による攻撃があったことを述べた。攻撃のスケールの大きさが西側諸国だけでなく、アメリカを動かした。

Hamouriyeh地区で映された映像を指差す人物が呟いた。「この人たちは私の従兄弟です」。男性が1人と子供が2人、床に寝かされ息を引き取っていた。化学兵器が使用されたこの日の日暮れまでに遺体は新しい墓地に埋葬された。数は定かでない。活動家は出来る限り遺体の写真を撮った。それは後で身元確認が出来るようにするためだった。

夜中の2時、馬鹿でかい音が市内に轟いた。その後、目や喉が焼けるような匂いが鼻を突いた。大半の住民が就寝していた。ダマスカスの2方面へと発射されたミサイルは着弾すると同時に化学物質を拡散させた。ベッドから起き上がる間もなく殺害された住民が多数いた。

甚大な被害を受けた地域は東グータと呼ばれている。地方から流れてきた人々が寄せ集まり、貧しいスンニ派で構成された地域。革命後は反アサド派の急先鋒に立った。様々な組織で構成された反体制派は1年以上に渡り、この地を政府軍から守ってきた。しかし、北部のような外国人勢力はほとんど展開していない。シリア人が多数を占める反体制派の拠点として機能してきた。しかし、政府軍の執拗な攻撃により、町は傷跡だらけである。ここ最近は双方膠着状態に陥っていた。

膠着状態を打開するために政府軍は兵糧攻めに打って出た。小麦、ガスやガソリン、電気の一切を遮断した。抜け道のほとんども政府軍によって押さえられた。その最中、化学兵器を搭載したミサイルが着弾した。すぐさま自由シリア軍は住民に退避を促した。モスクのミナレットからは「化学兵器による攻撃があった!屋上に逃げ込み、新鮮な空気を吸い込め」と拡声器ががなり立てていた。しかし、毎日のように起こる攻撃に住民には慣れが生じていた。幾人かは砲撃と勘違いして、ガスが充満した地下室に逃げ込み、死亡するケースもあった。

今回の攻撃は無差別に住民を殺傷した。政府軍は自由シリア軍を支援する一般市民を標的にしたのである。活動家の一人が語る。「政府軍は自由シリア軍の家族を狙った。家族に被害が及べば、前線を防備する自由シリア軍が家族の様子を見るため、持ち場を離れる。その間隙を突いて、政府軍は町に雪崩れ込もうとしたんだ」。彼は爆発音が聞こえたとき、それが化学兵器だと知り、怖れた。いったいどこに着弾したのか。また毒ガスはどこまで拡散しているのか。彼はウェットティッシュで急いで鼻と口を覆い、野戦病院へと急行した。

野戦病院は遺体で埋め尽くされた。それでも収まりきらず、歩道や道路にまで及んだ。Kafr Batna地区の医師は病院に到着すると、老若男女問わず100人以上の患者が搬送されていた。彼らは息苦しそうに呼吸をしていた。口から泡を吐き、多くの者がこん睡状態に陥った。この病院では160名が命を落とした。そのうち16名の身元が判明していない。生存者もさらなる化学兵器による攻撃を怖れて、寝る場所や身の守り方を求めて医師にすがりついた。

A Careful Response

この項目ですが、これは端折ります。ちら見しただけなので。軍事介入に関しては待つしかないでしょう。こうしてブログを書いている間にも各国の協議は続いていますし、その結果は今週か来週には分かりますし。でも空爆するってどの程度なんだろうか。ダマスカスの軍施設や化学兵器工場などを叩くだけかな。既にイスラエルがやっちゃてるけど、その後、あまり情勢に変化は見られなかったし。アレッポやホムスなんかはどうなるのだろうか。ラタキアも一時期、反体制派が攻勢かけてたけど、今はまた政府軍が奪取しているし。考えるだけ無駄か。

http://www.nytimes.com/interactive/2013/08/26/world/middleeast/Areas-Affected-by-the-Alleged-Chemical-Attack-in-Syria.html

こちらは今回の化学兵器が着弾した場所を記した地図です。分かり易いです。