トルコ訪問について

数日前にトルコのイスタンブールに到着しました。同業者がトルコ入国に際して、強制送還の憂き目にあっています。どういった基準で入国の許可、拒否を行っているのかは定かではありませんが、僕は無事に入国することができました。ただし、かなりの遠回りをしての、長時間の旅路でした。

仮に僕がリストに登録されていて、その網目を縫って入国していたとしたら、妨害を目論んでいた方々には残念なお知らせかもしれません。ただ、僕自身は外務省や警視庁の方々から忠告をいただいており、彼らの言い分も十分に聞き入れています。互いの意見の対立はありますが、僕自身は物事を荒立てたくはありません。特に外務省には以前にカシミールで被弾した際にはお世話になっています。

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シリアのおさらい

シリア情勢は複雑だと一般には言われています。確かにその通りなのですが、民衆蜂起から現在に至るまで、時系列で物事を眺めていくと、それほど道に迷うことなく、すんなりと理解できます。ただ、2011年3月から現在までのシリアでのニュースを拾い集めるとなると、膨大な労力と時間が費やされます。仮に今、2016年9月、「シリアを勉強しよう!」と思った方がいるとしたら、それは大変な作業になります。2012年3月からシリア情勢を眺め続けている僕でも、何とか追いつけている状態です。息切れしてます。こんな記事を見かけたので、補足を交えて紹介したいと思います。

http://www.nytimes.com/2016/09/19/world/middleeast/syria-civil-war-bashar-al-assad-refugees-islamic-state.html

1 シリアで行われている戦争とは何か

今行われている戦争は4つの層で構成されています。まず最も核となるのがアサド政権と反体制派です。さらに両者はシリア人と外国人で組織されています。両者の基本的な意見の相違はアサド大統領を政権から追い出すか、残留させるかです。

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3年に渡るシリアの取材について

現在、ドイツに難民として移り住んでいる友人から、昨日知らされました。「アブ・カリームが殉教した」と。2週間ほど前には「アリーが殉教した」と聞かされたばかりでした。2014年の5月から1カ月余り、反体制派組織「ムジャーヒディーン軍」に従軍した際に知り合った仲間の幾人かが既にこの世を去っています。彼らと過ごした時間は本当に僕にとって一生の宝物です。

ブログの更新は久しぶりです。ずっと何をしていたのかと言えば、原稿を書いていました。別に誰かに頼まれたわけでもなく、ただひたすらこれまでのシリアでの取材をまとめていました。そしてある程度出来上がったものを出版社に持ち込んでは売り込みをかけていました。なかなか首を縦に振ってくれる編集者がいない中で、何とか拾われました。捨てる神あれば拾う神あり。たぶん来月中旬か下旬に刊行になります。 続きを読む

無事に帰国しました

大変、ご無沙汰していました。

このブログを見ている方ならツイッターも確認済みだと思っていたので、ブログの更新を怠っていました。申し訳ありません。

今回は約3ヶ月、トルコに滞在していました。そのうち2週間はシリアに行っておりました。ただこの時期にシリアに入国したことで、外部の方から連絡がありまして、いろいろと忠告をされました。その際に「シリアには入っていません」と僕は言いました。これは決して嘘ではありません。厳密に言えば、僕はシリアではなく西クルディスタンに入っていました。見苦しい言い訳に聞こえるかもしれませんが、実際にコバニを訪れてみれば、ここがシリアでないことを実感します。もちろんシリアで戦う反体制派はこの言い分には猛烈に異議を唱えることだろうと思いますが。 続きを読む

ジャーナリストの素質-シリアを取材するということ-

余談です。

僕は詳しくジャーナリズムについて学んでいるわけではありません。大学はマスコミ系の学部でしたが、授業は必須科目以外は受講せず、それ以外は他学部、他学科(単位取得が容易な講義)ばかりに出席していました。なぜなら、僕の学部があまりにも退屈だったからです。

僕は決して頭が良いわけではありません。むしろ悪い方です。でもジャーナリストは頭脳明晰で状況判断に優れた人間が携わる職業です。にもかかわらず、僕がジャーナリストと名乗っていられるのは、唯一、行動力があるからだと思います。 続きを読む

シリアを取材するということ-追加-

気持ちがモヤモヤしています。今回の人質事件、個人的な考えは多々あります。ただ僕が感想を述べたところで、何か進展があるわけでもなく、面識もないため身勝手で無責任な発言は出来ません。ただ無事を祈るばかりです。

紛争地を取材する記者や写真家には大きく分けて二通りあると思います。根拠のない自信を振りかざして、どんな場所でも「俺だけは絶対に大丈夫」と思い込んでいる理想主義者とあらゆる死をリアルに思い浮かべた上で覚悟を決めて戦地に乗り込んでいる現実主義者。

理想主義者の利点は危険を顧みない行動故にド迫力のある映像や写真が撮れますが、死傷率も必然的に高くなります。現実主義者の利点は慎重であるが故に映像や写真は控えめですが、死傷率は低下します。僕はカシミールで被弾するまでは前者であり、被弾してからは後者に自然と移行しました。この職業は常に死と隣り合わせなのだと今は意識しています。

しかし、シリアは現実主義者にとっても非常に危険な紛争地です。慎重であっても、死を回避することは困難な場面が幾度も訪れます。僕は可能な限りの「死に様」を頭の中で思い描いてきました。そして全てを受け入れた上で取材を敢行していました。しかし、一つだけ抜け落ちていました。あえて考えないように、目を背けていました。それが今回の事件です。人質とされて処刑される、または交渉の道具として扱われる、という可能性です。

僕の考えが甘かったのか、もしくは人質とされることを選択肢に加えた時点で、二度とシリアには足を運べないことを理解していたから、これまであえて選択肢から外していたのか。でも、今回の件で「人質になるという可能性」が現実に起こり得るのだと実感しました。

僕が本気で理想とする紛争地がシリアでした。フリーとしての本領が発揮できた場所でもありました。でも再度足を踏み入れることはありません。「行かない」と言いつつも、目の前に人参をぶら下げられると、ついついこっそりと入り込んでいましたが、人参だろうと金塊だろうと何をぶらさげられても、シリアが安定するまでは今後二度と訪れることはないだろうと思います。

生の声は伝えられませんが、これまで通り、間接的にシリアのニュースは拾っていきたいと思います。よろしくお願いします。

シリアを取材するということ

報告が遅れましたが、「Articles」に僕が発表してきた記事と写真をアップしました。もしよろしければ、時間があるときにでも見ていただければと思います。そしてこれまでの掲載誌を改めて見返すと、やはり「シリア」は売れるのだと気が付きます。もちろんすんなりと掲載できるわけでもありませんが、正当な評価を得られることがシリアでの取材の僕のモチベーションにも繋がっています。インド、アフガニスタン、パキスタン、「これはイケる!」と意気込んで出版社に乗り込んでも、編集者の反応がイマイチ。編集会議にすら届かない取材も数多くありました。 続きを読む

掲載誌-サンデー毎日-

現在発売中の「サンデー毎日」の巻頭グラビアにシリアの記事と写真を掲載しています。

えーと、これだけじゃツイッターと変わらないので、何か付け加えたいのですが、記事に書いてある殉教したファラズダックについて。イドリブ県のブズガルという小さな村が彼の故郷です。3日間、彼の家に滞在したことがあります。葬儀にも参列しました。その際、彼の父親から「息子のことを書いてくれ」と言われました。

フリーランスにとって必要なことは3つあると思います。一つ目が取材費稼ぎ。僕の場合は取材は常に赤字なので、それを補填するためにトラックのドライバーをしています。金がなければ始まらないですから。二つ目が取材。僕は一から取材ルートを構築します。シリアに入国する手段から現地での滞在先から取材目的の達成まで。毎回、成功するわけではありません。三つ目が発表です。ブログやツイッターで取材報告するのが一番手っ取り早いのですが、実績には繋がりませんし、やはり取材された側への礼儀、責任、配慮からどこかのメディアで広く伝えることが重要だと考えます。

発表は一番体力を使います。なぜならうまくいかないことが大半だからです。売り込んでも売り込んでも落とされます。なので今回のシリアの取材も発表できるか不安でした。特に「息子のことを書いてくれ」と言われたときは、思わず目を伏せちゃいました。なので今回、彼、ファラズダックのことを記事にできたのは、本当に良かったです。では、また掲載誌が決まれば、お伝えできればと思います。

15万人から22万人

http://www.theguardian.com/world/2014/apr/01/syria-civil-war-death-toll-150000

4年目に突入したシリアでの内戦による死者は15万人に到達しました。ただし、僕の読み間違えがなければ、多く見積もれば22万人に達しているのではという報告も見られます。国連が最後に死者数を打ち出したのが2013年7月。10万人を超えたところで正確な死者数を算出できないということで打ち切りになり、今回の数字はシリア人権監視団からの報告になります。国内・国外避難民は9百万を超え、単純計算で国民の100人に1人が命を落とし、2人に1人が難民と化しています。もちろんシリアには体制派、反体制派共に外国人勢力が多数紛れ込んでいるので、こうした計算方法を適していませんが。 続きを読む

Two years into the uprising

シリアでの民主化の波が押し寄せたのが、2011年3月とされています。正確な日付は定かではなく、3月中ごろから首都のダマスカス、北部のアレッポ、南部のダラーなどで大規模な反政府デモが発生しました。隣近所、肉親でさえ、政治の話題を口にしないほど厳しい言論統制が敷かれていたシリアで、「アラブの春」に触発された国民が立ち上がりました。

「シャーブ・ユリード・イスカータ・ニザーム」。アラビア語で「シャーブ」は「国民」、「ユリード」は「望む」、「イスカータ」は「落ちる」、「ニザーム」は「政権」。つまり、「国民は(アサド)政権が崩れることを望んでいる」という文句を大声で熱唱して、旧国旗を振り上げていました。その他にも「アッラー・スーリヤ・ホッリーヤ・バス(神とシリアと自由、それだけで十分だ)」とか「アダム・スンニ・ワヒド・ハイヤ・アルジハード(スンニ派の血は一つとなってジハードに向かおう)」とか「サウラー・サウラー・スーリーヤ・ホッリーヤ(革命!革命!シリアと自由に!)」などなど。実際に、僕が滞在していた2012年4月のダマスカス郊外のドゥーマ、2013年に訪れたアレッポでの反政府デモでこのような言葉が飛び交っていました。 続きを読む