危機的状況が続くヤルムーク地区-追加-

http://www.theguardian.com/world/2014/apr/27/yarmouk-refugees-brutal-treatment-syrians

「私がヤルムーク地区を離れるときはパレスチナに戻るときだろうといつも考えていました。でも今、私はここにいる」

Umm Samir(68)はレバノンのパレスチナ難民キャンプでそう語った。彼女は怒りや悲しみの交錯で激しく揺れ動いている。

「まったく予想していなかった。まさかアサド政権が我々にこのような仕打ちをするなんて。我々がどのように扱われていたかを今はっきりと理解した」

Umm Sameerは語る。シリアの首都ダマスカスに位置するヤルムーク地区は40年以上に渡り、パレスチナ問題に関わるシンボルのような存在として位置づけられてきた。それがこの2週間近く供給ルートは遮断され、どん底にまで落ち込んだ。現在も残されている大半の人々は口にするものがないほどの飢餓にされされた。 続きを読む

危機的状況が続くヤルムーク地区

http://www.theguardian.com/world/2014/apr/19/syria-besieged-refugees-yarmouk-starvation?CMP=twt_gu

いまだ18000人が暮らしているとされるヤルムーク地区で食糧危機が再び訪れようとしている。日曜日には食料が底を尽くと予測されている。10日間、食料がヤルムーク地区に運ばれた形跡はない。政府軍による包囲網は相変わらず厳重である。

UN Relief and Works Agency (UNRWA)によれば、一日に700のフードパケットが必要とされている。1パケットで5~8名の食料が詰め込まれている。しかし、ここ最近になって、食料の搬入が停滞している。1月に一度は食料の搬入を許したアサド政権は再び兵糧攻めに乗り出している。 続きを読む

兵糧攻め-追加-

http://www.latimes.com/world/la-fg-syria-aid-20140205,0,6145120.story#axzz2sRHI6xGR

今週の火曜日、ヤルムーク地区の包囲網が一部解除されました。かつては200000人の住民が暮らしていたヤルムークの人口は18000人ほどまで減少。前回の限定的な救援物資の搬送を越えて今回は多くの住民がヤルムーク地区から別の地区へと避難しているようです。ただし、女性、子供、高齢者が大半です。

「小さな一歩だ。だが、ヤルムークをきっかけにして、より多くの人々に支援の手が差し伸べられることを願っている」

赤新月社のスタッフRazan Jaradehは述べています。現在も政府軍の包囲網によりシリア全土では約250000人の人々が過酷な環境で生きながらえています。しかし、事情は複雑です。政府側は反体制派が住民の避難を制止していると非難しています。「人間の盾」として利用しているわけです。 続きを読む

兵糧攻め

アラビア語の勉強を始めて1年半ほどになります。独りぼっちで頑張ってきましたが、週一回の授業に通うことになりました。まだ1回しか参加していないのですが、何とかついていけそうな気がします。ただ本当にこの言語を多少でも扱えるようになるのか不安です。外見はシンプルなんだけど、中身は複雑で、精密機器みたいな言葉。ちなみに英語に関しては、このブログが役立っています。いい加減なことが書けないので、辞書を片手に丁寧に読み解いています。

余談でした。和平会議、進展がないようですね。期待している人がどれほどいたのか疑問ですが。以前からブログでも何度か取り上げている「兵糧攻め」に関していくつかの記事を拾い読みしたいと思います。結構、どのメディアでもこの話題は様々な角度から報じられているので。 続きを読む

What is the Geneva II?

詳細までは分かりませんが、朗報です。ダマスカス近郊(中心地から僅か8キロ足らず)のヤルムーク地区に物資が搬入されました。ヤルムークはシリアでは最大のパレスチナ人居住区です。1957年に設立された非公式の難民キャンプですが、半世紀以上が経過し、今ではダマスカスの一つの地区として定着しています。それが・・・動画を二つほど掲載します。どちらも英訳が添えてあります。

http://www.youtube.com/watch?v=ryTVsOiOmCI

http://www.youtube.com/watch?v=-d76j9_18VY

2012年12月、反体制派がヤルムークの大半を制圧しました。政府軍は町一帯を包囲し、マーダミーヤと同じく兵糧攻めに転じました。昨年の9月から一切の物資が供給されず、この地区で暮らす住民、約18000人(人口は革命前の180000人から10分の一に激減)が飢餓の脅威に曝されていました。餓死者も多数出ています(少なくとも40人)。どの程度の食料や医薬品が市内に運び込まれたのかは定かではありませんが、悲報から朗報、後退から進展、微かな光が射し込みました。 続きを読む